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2006年 6月 3日(赤口

差別用語

差別用語の迷妄

今回は差別用語について書いてみます。上記のサイトは私がよく見るサイトで、中の人の考え方も多少私に通じるところがあります。

で、差別用語ですが、私は差別用語とかぎゃーぎゃー言う人が正直嫌いです。そもそも、こっちは差別する気はさらさら無いのに、相手が「それは差別だ。」と言うのは、そういう相手のほうがよっぽど差別意識を持っていると思います。それに、差別は差別意識を持ってやるからこそ差別なのであって、そういう意識がないのなら本来それは差別ではないはずです。障害者が、その手の単語にいちいち反応していたら、今の世の中生きてはいけません。デブとか、盲(めくら)とかの単語も差別用語の基準から言えば両方そうでしょう。差別したい人はさせとけばいいんです。そんな人はなにいっても無駄ですから。

また、ある言葉はかつて差別的に用いられていたので、使用するのは好ましくない。と、いわれているものもありますが、実際はそうでなかったり、それを検証したことがないといったものもあります。差別用語 - Wikipediaをみてみると、現在、差別用語といわれいてるものに結構ふだんの会話で使われるものがあります。仮に、これらをすべて使わなくしたら、会話が成り立たなくなります。最近の例では、痴呆が認知症になったりしました。これも、かなり迷惑です。それに、言い方が変わったところでその言葉を発する人の意識は変わりません。結局、形だけです。

それと、さっき母にこの話をしたら、「知らないから使っていいということはない。無知は良くない。」と言われました。まぁ、確かに無知はよろしくないです。それは認めます。が、だからといって既にある認識をねじ曲げてまで、差別用語を使わなくする必要はないと思います。とういより、差別用語というもの自体が曖昧な定義しかされていないものです。それも、おおむね何も障害が無い人間が決めてます。それも、「障害者はかわいそう。障害者は守らなくては。」って感じの意識で。私としては、そういう考え自体が差別そのものだと思うのですがね。

なんか、長くなりましたが、とにかく私は差別用語という概念は意味がなく、すべてはその言葉を使う人次第だと思います。まぁ、この文章より、最初に書いたサイトを見てもらうほうがいいと思います。いまさらですがね。